本田宗一郎の誕生日 セナ没後25年のブラジルGPでレッドブルホンダ優勝

2019年のF1ブラジルGPの決勝でレッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペンがポール・トゥ・ウィン。

2位がトロロッソ・ホンダのピエール・ガスリー。ホンダのF1エンジンが1-2フィニッシュを達成。

トロロッソ・ホンダのダニール・クビアトも10位入賞とホンダPU搭載車3台がポイントを獲得。

11月17日はホンダの創業者、本田宗一郎の誕生日でした。

そして今や伝説のドライバー、アイルトン・セナ没後25年のブラジルGP。

セナの母国はブラジルです。

運命を感じた2019年ブラジルGP

眠い目をこすりながら超早起きしてDAZNで生中継を見た。

ブラジルGPでは何かが起きる予感がしていたんです。

レッドブル・レーシング、トロロッソ・ホンダのホンダPU(パワーユニット)搭載車がフリープラクティス(FP)初日からメルセデスやフェラーリを凌ぐ速さがあったこと、特にマックス・フェルスタッペンは完璧な走りをしていた。

予選でもフェルスタッペンがメルセデスのルイス・ハミルトン、バルテリ・ボッタス、フェラーリのセバスチャン・ベッテル、シャルル・ルクレールを寄せ付けない速さでポールポジションを獲得。

際立ったのがホンダPUのストレートの速さ。

今シーズンレッドブル・レーシングと組んだホンダはオーストリアとドイツで2勝を達成。

しかしパワーに関してはフェラーリ、メルセデスの後塵を拝していた。

それが残すところあと2戦となったブラジルGPでホンダの力が大いに発揮され、得意だった低中速コーナーの速さに加え、ストレートスピードも圧倒。

これはフェルスタッペンが勝つ!と感じていた。

そしてホンダの創業者、本田宗一郎の誕生日でもあること、アイルトン・セナ没後25年のブラジルGP。

運命を感じました。


本田宗一郎

本田技研工業株式会社の創業者でもあり、生粋の技術屋、天才エンジニア。

1989年に本田宗一郎が日本人として初めてアメリカの自動車殿堂入りを果たしている。

本田技研が経営難でありながらも二輪ではでマン島TTレースや四輪ではF1に果敢に挑戦し「走る実験室」と称して(走る実験室についてはF1チーム監督の中村良夫からは批判された)本田技研の発展、ホンダのモータースポーツの隆盛につなげ、副社長の藤沢武夫とともにホンダを背負い的大企業に育て上げた叩き上げの技術者。

技術者としてはホンダの代名詞、スーパーカブのエンジンを当時主流だった2ストロークではなくパワーと信頼性のため4ストロークを採用、自分の意志を曲げない頑固さもある反面、後に市販車のエンジンを自ら主張していた空冷エンジンにこだわって「ホンダ1300」を発売したが、若手エンジニアによるテストの結果、最終的に水冷の方が優れていることが分かり、本田宗一郎は「自分には技術が分からなくなったのかもしれない」と悟り社長を退いた逸話も。

その他書ききれないほどの逸話があります。

海老沢泰久著「F1地上の夢」に本田宗一郎、ホンダのF1をはじめとするモータースポーツの話が詳しく書かれています。


後に第二期F1参戦時のホンダ総監督の桜井淑敏、後藤治らは本田宗一郎の直弟子。

晩年もモータースポーツ、F1でもアイルトン・セナとモナコGPのパーティーで握手、抱擁しセナに「最高のエンジンを作るから」と話しかけ、セナが涙を流した場面がフジテレビで放送され鮮明に覚えている。

アイルトン・セナ

1988年・1990年・1991年と3度のF1ワールドチャンピオンを獲得した伝説のレーシングドライバー。

1994年、第3戦サンマリノGPで事故死。

アラン・プロスト、ネルソン・ピケ、ナイジェル・マンセルとともに「四天王」と呼ばれました。

古舘伊知郎は「音速の貴公子」とセナのことを呼んでいましたね。

若い世代のF1ファンは実際セナの走りを見たことが無い方が多いかと思います。

YouTubeで検索するとセナの走りを見ることが出来ますので要チェック。

繊細かつ大胆な走り、マシンのセットアップ技術も凄くてほんの少しの挙動の違いもすぐに見つけることが出来たレーシングドライバーでした。

「セナ足」と呼ばれた一秒間に数回アクセル開閉を繰り返す独特のテクニックは有名。

マクラーレン・ホンダが16戦15勝を記録した1988年は1.5リッターターボエンジン最後の年。

アラン・プロストとジョイントナンバーワン体制だったが、後半戦チャンピオン争いが激しくなってきた時、プロストが「ホンダはパワーのあるエンジンをセナに与えている」と発言。

しかし桜井淑敏、後藤治らホンダのエンジニアはセナとプロストのエンジンテレメトリーをプロストに見せて平等なエンジンを供給していることを証明させました。

セナが「セナ足」でターボラグ(ターボチャージャーが回転しパワーを増幅させるまでの時間 https://automotive.ten-navi.com/dictionary/747/ )を最小限に抑えていることがデータ上でハッキリとプロストにも示されました。

ターボエンジンの特性を最大限に発揮させていたんです。

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運命はある

1988年16戦中、一戦だけマクラーレン・ホンダが勝てなかったのがイタリアグランプリでした。

イタリアグランプリ前月にエンツォ・フェラーリが死去し、圧倒的な速さでマクラーレン・ホンダが予選ワンツー。

しかしプロストがエンジントラブルでリタイヤ、セナもジャン・ルイ・シュレッサーと接触リタイヤ。

フェラーリのゲルハルト・ベルガーは優勝、同僚のミケーレ・アルボレートが続き劇的なワンツーフィニッシュ!

フェラーリの創設者でF1界のみならず偉大だったエンツォ・フェラーリがもたらせた奇跡だと当時思いました。

そしてセナと接触したジャン・ルイ・シュレッサーも運命の人でした。

本田宗一郎が第一期F1参戦時に自ら主導した空冷エンジン搭載のホンダ RA302で事故死したジョー・シュレッサーの甥がジャン・ルイ・シュレッサーなのです。

16戦全勝出来なかったのは、運命なのかこの1戦のみスポット参戦していたジャン・ルイ・シュレッサーとセナの接触。

エンツォ・フェラーリの死、そしてセナがリタイヤする原因にもなったジャン・ルイ・シュレッサー、そして本田宗一郎とジョー・シュレッサー、因縁めいた何かを当時感じたとともに、2019年F1ブラジルグランプリに際して本田宗一郎の誕生日、アイルトン・セナ没後のブラジルグランプリに運命的なものを感じたのです。

2019年ブラジルグランプリ

レッドブル・ホンダのフェルスタッペンは2019年後半戦の不振を全く感じさせない鉄壁な走りと速さでした。

冷静さを欠いていたこれまでとは別人。

2回セーフティーカーが入るアクシデントもあったけど、冷静な判断とマシン特性を活かし今季3勝目。

2位入賞で初のF1表彰台のトロロッソ・ホンダ、ピエール・ガスリーも最終周でメルセデスのハミルトンをホンダのパワーで抑え込んだ。

レッドブルの空力とホンダパワーがやっと花が開いた。

ハミルトンとの接触がなければアルボンが2位か3位になっていたかも知れない。

実況中継で解説していた中野信治も「ホンダ勢が表彰台独占かも」と興奮気味でした。

トロロッソ・ホンダのダニール・クビアトも10入賞。

ホンダにとってブラジルでの勝利は、輝かしい歴史を一緒に築いてきたアイルトン・セナが母国初優勝を飾った1991年以来、そして本田宗一郎の誕生日。

嬉しさと運命を感じながら眠い目をこすりながら出社した日でした。

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